
ー西岸地区、ラマラにて。故アラファト氏のポスターが至る所で見られる。
再びホテルから書いています。
ファイサルホステルという安宿に泊まっています。
このホテルはバックパッカーだけじゃなく、イスラエルに
無暴力抵抗運動を行う国際連帯組織、ISMのメンバーも
多く泊まっています。それから、ジャーナリストもこの
ホテルに多く泊まっています。
ということで、パレスチナの情報を仕入れるには、
ここに泊まるのが一番なのです。それに、居心地が
いいです。ネットは使えるし、ラウンジでは紅茶が無料だったり。
オーナーのヒシャームさんは優しくて、パレスチナのことは
何でも知っているし。僕の部屋は10人部屋で、えらく臭いですが(笑)。
昨日は到着してすぐ、ISMなどがすぐ近くの村でデモを行うという
ので同行することにしました。場所は、西岸地区、パレスチナの
議長府があるラマラという町から30分ほど車を走らせたところでした。

?村で出会ったパレスチナの子どもたち
デモに入る前に、村の中心人物からデモを行う理由について
説明がありました。それまでは彼らの土地だった農地を
イスラエル側が押収。今はフェンスを作り、農業が出来なく
なってしまっているとのことです。そこにみんなで行き、
「土地を返せ」と訴えるとのことでした。

?トラクターにパレスチナ国旗を掲げるなど、デモの準備を行う
集合場所に行くと、次から次へと人が集まって来て、
最終的に100人近くなったでしょうか。世界中から集まった
デモの参加者、現地の当事者、そして数多くのメディア関係者。
デモ行動の一部始終を、パレスチナ国内外のメディア関係者が
写真や映像に収め、世界中にここで起こっていることを発信し、
不当な土地占領を止めさせようということが目的なのでしょう。

?いざ出発。歌を歌いながらの出発でした。恐らく抵抗の歌。

?いつの間にか大行列に。

?フェンスに向かう途中、イスラエル兵が建物の裏に潜んでいた。

?両方の国旗を合わせたTシャツを着るパレスチナ人。双方が平和に暮らせる日を願って着ているんだと思う。

?イスラエルの陣取っている場所。鉄条網の奥に兵士。さらに奥にも多くの兵士が控えていた。

?有刺鉄線を引っ張る活動家。
フェンスに到着すると、「撤退しろ」などと呼びかけたり、歌を歌ったり、
有刺鉄線を引っ張ったりと、様々な無暴力運動が行われました。
時折、イスラエル兵が催涙弾を撃ってくるため、爆音とガスに皆
一瞬ひるみますが、慣れっこという様子。催涙ガスをまともに
食らうと、相当つらいようですが、僕は大丈夫でした。
30分も押し問答を続けたでしょうか。
一部の活動家がエスカレートし、兵士の持っていた盾を
奪うなどの行動に出ました。さらに兵士を挑発する動きが
あり、怒った兵士が銃を構え、こちら側に飛び込んできます。
出てきた兵士に詰め寄り、執拗に何人かが訴えかけます。
英語で訴える人が多かったですが、一人ヘブライ語混じりで
かなり強い調子で訴えかけていた若い女性がいました。
後で話を聞くと、彼女はテルアビブ生まれのイスラエル人で
自分も過去は兵士として「向こう側」にいたそうです。
兵役が終わり、テルアビブに帰った彼女はある時、
パレスチナ人へのイスラエル側の力ずくのやり方に対する
不満が募り、
「このまま座っていたら、何も変えることが出来ない」
と、デモに参加するようになったそうです。
「テルアビブでは、あなたのように考える若者は多いの?」
と、プレスの人間が聞くと、彼女は、
「いいえ、そんなことないわ。多くの若者は何にも考えてないの。
みんな、考え始めて欲しいのよ。こんなひどいことをしていることに。
彼らから農地を奪ったら何が残るっていうの?唯一の収入源なのに。
それに村のすぐそこまで兵士を送り込んで、子供たちを傷つけている。
恥じるべきだわ。気付くべきなのよ。このひどいやり方に。」
一方の当事者としてパレスチナ人を苦しめて来た、彼女の
言葉は重みがありました。「ここにいる兵士に、自分たちが
何をやっているのかを気付かせたい」、と言っていました。
膠着状態が続くなか、一部のパレスチナ人の若者が、
僕のすぐそばで石を投げ始めてしまいました。
それに対し、イスラエル兵がゴム弾を発砲。かなり冷や冷やものでした。
一目散にパーっと逃げたりして(笑)。ちなみにゴム弾と言っても
銃弾の周りにゴムをくるんでいるだけだそうで、殺傷能力は
十分あるそうです。
こんなデモを始めて見ました。
やるべきか、やるべきじゃないかで言うと、やるべきだと
思いました。というのも、ここで直接的に政治を変えられなくても、
先ほど書いたイスラエル人女性のように、いつか考えを変える人が、
今はフェンスの向こう側にいる兵士の中から将来出てくるかもしれないから。
でも、無暴力、無抵抗が売りのはずのこのデモですが、
途中でパレスチナの若者が暴発してしまうんですね。
これは、まずい。せっかくのデモが台無しになってしまうと僕は思う。
パレスチナ人の大人は至って冷静に参加していましたが、
若者はコントロールできない様子でした。
このデモが終わり、村に帰る途中に潜んでいた兵士たちに
投石を行う別グループの若者、子供たちがいたため、
道を迂回しなければ変えれませんでした。
ここでもゴム弾と催涙ガスを撃っていました。
そういった催涙ガスは、民家の敷地の中にも落ちました。
家の玄関に、様子を見に一家総出で出てきた家族が
印象的でした。彼らにとって、紛争は自分の敷地で起こっているんです。
迂回して、元の道に戻ると、オリーブ畑から
たくさんの若者が兵士に向かって投石をしている様子が
見えました。小学生高学年ぐらいの子どもも加わっていました。
夕暮れ時、彼らの投石する後姿を遠くから見て、
これがインティファーダ(民衆蜂起)なんだと気付かされました。
彼らが出来る、ちっちゃな抵抗。石対ライフルの戦いは、
見る者の心を揺さぶります。
こんな戦い、終わらせなきゃいけない。





