昨日は、単独行動です。
朝8時に起床。しばらく仕事をした後、朝10時に出発。
パレスチナ西岸自治区の北部の町、カルキリアに行くこと
にしました。人からの話などで、この町は壁に町全体を
すっぽり覆われてしまっている大変な場所だと聞いていました。

?朝食は「ファラフェル」。ヒヨコ豆をつぶして揚げたものなどが入っている。

?途中、検問所、分離壁などを目にする。どこに行くにも制限がある。
ところがカルキリアの中心部にあるバス停に入るまで、
壁らしきものは見当たりません。なんだか拍子抜けです。
どうしたものか、このまま帰ってしまおうかとも一瞬
思いましたが、せっかく半日かけて来たのだからと、
タクシーで探しに行くことにしました。
見つけたタクシーに、
「英語できますか?」
「シュワイエ(少しなら)」
「これを見たいんですけど。壁。」
「Ok。大丈夫。」
ということで、タクシーをチャーターして
壁を探しに行くことにしました。
まずは隣町のハブラというところに行きました。
ちょっと前まではカルキリアとハブラの間は
陸上を通過することができなかったそうで、
ハブラに行くまでにいくつかの地下道を
通りました。イスラエルが最近この地下道を
作ったとのこと。
ハブラの町の中心を抜け、郊外まで行くと、
高さ8mの壁が見えてきました。そこで一旦
タクシーを降り、撮影。運転手が、
「ほら、そこの家。彼らは壁によって土地を
奪われてしまったんだよ」

壁はその家のすぐそこまで迫っていました。
憎しみの壁、アパルトヘイトウォールなどと
も呼ばれる分離壁。これを毎日見なければならない
心理的な苦痛は相当なものだと思います。
自分の土地まで奪われてしまっているし。
次はカルキリアに戻ることになりました。
運転手が、少しずつ話始めました。
「俺の金は全部イスラエルに奪われたんだよ。
家は10年前に爆破され、ペチャンコにされたんだ。
それまでは裕福な暮らしをしていたのに、
今では貧乏人だよ」
「日本は好きだよ。日本政府は困っている
我々に支援をしてくれている。感謝しているよ」
そんな話を聞いていると、突然車を路肩に止めた。
「ここの家、先週イスラエル軍に破壊されたんだ。
見ていくか?」
「もちろん」と答え、車を降り、彼について行きました。
そこには粉々になったコンクリートの破片が
散らばっていました。すでに家の輪郭は見当たらず、
ペシャンコ状態でした。
ショベルカーが瓦礫を集める作業をしており、
家の家族もその場にいました。気付かれる前に、
写真を撮っておこうと数枚急ぎで撮るものの、
すぐにその場にいた女性に気付かれ、
僕のところに歩み寄ってきました。

「I want to show you. Come.(あなたに見せたい
から、ついて来てください)」
意外な反応でした。彼女の案内で、かつて
家があったすぐそばまで行きました。
「ここには4家族住んでいました。私の妹の
家族や父が住んでいたんです。イスラエル軍が
突然やってきて、家を破壊したのよ。
突然来て、荷物を持ち出す時間ももらえず、
お金も、服も、何もかも瓦礫の下に埋まって
しまいました。





?破壊されてしまった、水タンク。
あそこの子は、結婚を控えていました。
結婚のために貯めたお金も全部瓦礫の下です。
赤ん坊は、裸のまま家を出なければならな
かったんです。どうぞここを見て、
多くの人に伝えてください。」
「ついて来て」と言い、彼女は敷地のさらに
奥のほうに僕を誘いました。
「水が止まり、農業で使う、水タンクも破壊
されてしまったから、作っていた作物が全部
ダメになってしまいました。どうぞ見て下さい」
と、ビニールハウスの中に僕を案内しました。
そのビニールハウスの中は、残酷な状態の
野菜で一杯でした。
作物が枯れ果てて、一面死の世界のように
なっていました。

「もう1週間も水をやれていないんです」
これを見て、一瞬にして頭に電気が流れ、
その場で泣きました。
これまでビニールハウスの中で、大切に
作っていた作物が、全てダメになって
しまったのです。それに、農家で生計を
立てている彼らにとっては、大切な収入源
だったのです。
僕が泣いているのを見て、その女性が
言いました。
「私たちもみんな泣きました。この子も、この子も
(小さい子どもを指差し)。この子なんか、夜、
眠れなくなってしまったんです。イスラエル兵が
来ることを恐れて」
ここに住んでいた子どもの一人が、イスラエル軍に
連行され、未だ帰ってきていないそうです。
10歳ぐらいの子どもとのことです。
なぜ破壊されたのか聞くと、
「ここにハマスのメンバーがいると思ったんです。
武器が隠されていると。でも、メンバーなんていません。
武器なんかも出てきませんでした。テレビでも何も
出てこなかったことが報道されました」
彼女のお父さんは、テントの前でじっと座っていました。
なにやら握り締めています。何かと思うと
破けてしまったお金を大事に持っていたのです。
「こんなものしかなくなってしまったんだ。」
と僕に無言で訴えるようでした。





僕は少しばかり寄付して、その場を去りました。
家の再建には相当なお金がかかるはずです。
4家族分の家の建設費用は誰が負担するのでしょう。
車の中で、運転手がまた静かに、でも
今度は感情的に話始めました。
「これが私たちパレスチナ人の生きている世界なんだよ。
イスラエルは俺たちをまるで動物のように扱っている。
まるで昔ヒットラーがユダヤ人に行ったようなことを
俺たちにやっている。ひどいものさ」
それから、カルキリア周辺の壁を見て周り、
運転手と別れ、エルサレムに帰ることにしました。



「ところでお名前は?何歳なんですか?」
と聞くと、
「モハマッド・アブジャブ。32歳さ。4人の
子どもがいる。でも一日に稼げるのはたった50シェケル
(1500円ぐらい)。とてもやっていけないよ。
俺、40ぐらいに見えるだろう。ここでの生活が
辛くて、こんな顔になっちゃうのさ」
別れ際に握手して、写真を一枚。
いいやつだった。

「俺のツアーどうだった?」
「最高だったよ。元気で」
僕はカルキリアを後にしました。
帰路の途中、いくつか検問がありました。
車を止められ、乗り合いタクシー全員が
イスラエル兵にIDカードを見せます。

僕だけなぜか降ろされ、かるく尋問
されました。
「What's Up?」
カルキリアで何してたんだ」
「君らが作った壁を見にいったのさ。
ひどいことをするね。悲しくなったよ」
「何で俺たちが壁を作っているか知ってるか?
なぜなら奴らが俺たちの子どもや赤ん坊を
殺すからさ」
「そう言うけど、同じことをパレスチナ人
だって思ってるんじゃないか?」
しばらくこんなやり取りをして、
タクシーに戻されました。



?ターミナル型のチェックポイント。写真はエルサレムに入る直前にあるアタロットターミナル。
その後、ホテルに戻り、ホテルで
であった人たちと、一昨日行った
ビリンという村での抵抗運動のことを
題材にしたドキュメンタリー映画を見て、
その日はそのまま寝ました。
心も体もクタクタですわ。





